三重県松阪市、松阪駅から徒歩7分の場所にある和菓子屋です。『老伴(おいのとも)』を看板商品に、天正3年(安土桃山時代)に江州日野にて創業、豊臣秀吉公の命により蒲生氏郷公が松阪へ移った際に、当家も多くの近江商人と共に移動し430年以上にわたり菓子屋を継続して来ました。
明治に入り天皇家の神宮参拝が始まり伊勢土産として購入されて以来、幾度と無く御皇室の方々にご利用いただいております。売り場には、老伴(おいのとも)、鈴最中(すずもなか)、桐葉山(きりのはやま)など様々な商品を並べています。併設の喫茶店「茶房楊柳園」にて和菓子や干菓子、練り物などの焼型・木型など、昔の道具類を展示しております。430年の歴史が詰まった店内で当時と変ぬお菓子をお届けしております。”
株式会社 柳屋奉善 の最新情報
伊勢神宮にお菓子を納品する為に3日間閉店し、お祈りし体を清めてから作ったそうです。時代は?もしも作ったお菓子が「桐葉山」ならば初めて伊勢神宮へご参拝された明治天皇への献上菓子ですので明治2年(1869)です。違うなら明治17年以降です。
もしも山高帽をかぶっているのが祖父で、その左の子供が父ならば昭和10年前後でしょう。この時代はリヤカーをフルチューン?した三輪車でお菓子を配達していたのでしょう。
この店は覚えていますので、おばちゃんの背中にいる子供は私でしょう。昭和30年頃です。看板は伊勢銘菓(伊勢の国の意味)、この後ネオン看板に改造。お隣は有名な和田金さん、長い間民家を改造したお店ですき焼きを出していました。
昭和40年頃の初午(厄落しの祭)です。お店の右側のウインドウに飾り菓子が見えます。その右のバイクはどこのでしょ。うちはスーパーカブで配達してました。伊勢湾台風に襲われたのもこの頃でした。
柳屋の銘菓3選
老伴(おいのとも)
天正3年(1575年)に作られた商品で、後に松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏(三井家)により、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。羊羹の甘さを最中の皮で抑えた、上品で独特の風味が楽しめます。
鈴最中(すずもなか)
松阪の偉人、本居宣長翁がこよなく愛した七古鈴、心にやさしく響く鈴の音を最中にたくした銘菓で、小豆餡と海苔餡の2種類と万古焼きの鈴(駅鈴)が1個入っております。またこの鈴はそれぞれ全く違った音色を奏でるので、旅の思い出に最適です。
桐葉山(きりのはやま)
明治天皇が伊勢神宮に御参拝の時(1869・3・12/天皇の神宮参拝の初め)、御皇室より命を受け、御成婚の祝い菓子として献上された和菓子で、伊勢湾で取れた新鮮な青海苔と宇治の抹茶が入った餡を、上質の卵がたっぷり入った皮で包み、仕上に鳳凰の焼印で香りを強めた、贅沢で深みの有るお味です。献上菓子の場合、地元の味を優先し、保存は考慮しませんので、今でも朝焼いて夕方売切っております。
売場全体図面
企業概要
会社名 | 柳屋奉善 | ||
代表者 | 岡 久司 | ||
住所 | 〒515-0083 三重県松阪市中町1877 | ||
電話 |
TEL:0598-21-0138 ミエピタを見たと言っていただければスムーズです ホームページ、SEO・MEO対策、求人、集客・広告など本業に関係のない一切の営業電話をお断ります。迷惑行為に該当する場合、迷惑防止条例第9条に基づき法的処置を取らせていただきます。 |
||
業種 | 和菓子 | ||
創業年月 | |||
資本金 | |||
従業員数 | |||
営業時間 | 9:00~18:00 | ||
定休日 | 火曜日 水曜日 | ||
保有設備 | |||
営業所・店舗 | |||
ホームページ |